<○研究についての寄稿:大久保彩子特任研究員
「目からウロコ?の捕鯨問題:何が『問題』なのか」
新聞やテレビで捕鯨問題が報じられるとき、商業捕鯨の再開を目指す日本と、
感情的に、また強硬に捕鯨に反対する反捕鯨国(または反捕鯨団体)という
構図が必ずと言っていいほど登場する。そして、日本は食文化を守るために、
持続可能な資源利用のために、国際捕鯨委員会(IWC)の交渉において科学に
基づいた主張を展開している、とか、鯨が増えすぎれば鯨による魚の捕食で
漁獲量が減ってしまう、鯨は増えているのに捕るなというのはおかしい…等々、
いろいろな側面から「日本が捕鯨をしなければならない理由」が語られる。
そして、捕鯨に反対する国々ついては、その主張がどんなに
感情的で「非科学的」かが強調される。
しかし、日本は本当に商業捕鯨の再開を目指した政策をとっているのだろうか。
そして、現在、日本が科学研究のためとして実施している調査捕鯨の実態は
どのようなものなのか、鯨類の資源状態に対する国内外の科学者たちの見方は
どうなのか、また、そもそも鯨を食べることは「日本の食文化」と言えるのか。
こうした、議論の前提となるはずの事実関係をほとんど確認しないままに、
「捕鯨・イエスかノーか?」といった単純な図式で議論が盛り上がってしまうのも、
捕鯨問題の特徴である。
そこで本稿では、普段あまり報じられることのない、日本の捕鯨外交の実態に
ついて簡潔に述べていく。筆者はここ数年来、IWCの交渉会議にオブザーバー
として参加してきたが、その実態は、日本国内で報じられる姿とはだいぶ
違っている。日本は商業捕鯨の再開を目的として掲げていながら、その実現に
必要な行動を、ほとんどとってきていないのである。
(※写真は、国際捕鯨委員会IWCの会議の様子)
日本が商業捕鯨を再開するには、商業捕鯨モラトリアムを解除しなければ
ならず、そのためにはIWCで4分の3の賛成票を得る必要がある。日本は、
自らの主張を支持してくれる国の新規加盟を促しているものの、現状では
88カ国あるIWC加盟国のうち捕鯨推進・反捕鯨は約半数づつと拮抗しており、
新規加盟国の獲得だけでは、4分の3の賛成を得ることは不可能である。
現在、反捕鯨の立場をとる国々の半分を説得しなければならない。
実は、反捕鯨国とはいっても、厳しい管理の下でなら捕鯨を行ってもよいと
する国も存在する。商業捕鯨が再開された場合の鯨類の捕獲枠算定方式
(RMP)は、IWCの科学委員会により全会一致で勧告され、1994年にIWCも
これを正式に採択している。その後の交渉では、RMPで算出される捕獲枠の
遵守規制が焦点となってきた。RMPは、鯨類資源に関する様々な不確実性に
対する頑健性を備えた保全的な管理方式であり、RMPに従って、かつ、
国際的に合意された厳しい遵守規制の下でなら捕鯨を認めるべき、との声は
EU諸国の間でも出ていたのである。
日本がIWCの枠内で商業捕鯨を再開しようとするなら、どの程度厳しい規制
を講じ、また規制に必要な費用を負担する用意があるのかを示し、本格的な
交渉に着手すべきであった。しかし、日本は遵守規制の交渉において、捕鯨は
あくまで漁業の一つであり、過度な規制は必要なく、規制費用も全IWC加盟国
で負担すべきとの立場を曲げず、最も厳しい規制と、捕鯨国による費用負担を
求める国々との間で妥協を図ることはなかった。さらに、商業捕鯨モラトリアム
を解除するならば、各国の裁量で行われている調査捕鯨に何らかの国際規制を
かけるべき、との意見には、日本は真っ向から反対。遵守規制の交渉では、
そんな対立が長らく続き、交渉は2006年に決裂してしまった。
IWCの国際交渉を間近で見てみると、日本の調査捕鯨へのこだわりが、いかに
商業捕鯨の再開に向けて日本が取りうる行動を制約しているのかが、よく分かる。
日本は、商業捕鯨モラトリアムの発効を受けて、「商業捕鯨が再開された場合の
資源管理に役立てるため」として、国際捕鯨取締条約第8条に定められている
調査捕鯨の規定を活用し、商業捕鯨から調査捕鯨に「切り換え」た。当時、調査
捕鯨の研究計画の策定を担当した科学者は、長期間を必要とし、多くの捕獲頭数
を必要とする計画とするよう指示を受けたという。1987年の調査開始から
今までの捕獲頭数は、すべての鯨種・海域あわせて12,626頭。
調査捕鯨の計画は、事前にIWCの科学委員会に提出し審議することになって
いるが、科学委員会で指摘された改善案などを計画に反映させる義務はなく、
調査捕鯨は事実上、国際規制を受けることなく各国の裁量で実施することが
できる。日本はこれまで、反対国からの強い批判を受けながらも、捕獲対象と
なる鯨種を拡大し、捕獲頭数も大幅にアップしてきた。また、RMPによる
捕獲枠の算定には、調査捕鯨のデータは必要ないことや、研究成果に資源管理
に資する査読論文が極めて少ないことなどからも、商業捕鯨の再開に役立つ
ような内容にはなっていない。
また、外交交渉においても、調査捕鯨は商業捕鯨モラトリアム解除という点で
大きな阻害要因である。遵守規制の交渉で調査捕鯨が大きな対立点になって
いたことは先に述べた。さらに、IWCではこれまで数度にわたって、南極海の
調査捕鯨を停止または縮小すれば、日本の周辺海域において限定的な沿岸
捕鯨を認める提案が出されているが、日本はそうした妥協に応じたことはない。
日本は商業捕鯨モラトリアムによって経済的に困窮している地域の救済を
訴えてきたが、実際には南極海の調査捕鯨を優先させる行動になっている。
こうしてみると、日本の捕鯨外交は、何より調査捕鯨の維持拡大を最優先して
きたことがわかる。そして、調査捕鯨を維持していくには、実は商業捕鯨
モラトリアムは必要なのである。モラトリアムが解除されてしまえば、
「商業捕鯨再開のため」の調査捕鯨を継続する根拠がなくなる。調査捕鯨は
年間約5億円の国庫補助金と、調査の副産物として生じる鯨肉の売り上げ
収入で調査費用を賄っているが、商業捕鯨となったら、そのような補助金を
受け取ることはできなくなるだろう。そして、さらに重要なことに、モラトリアムが
解除されたとしても、南極海の捕鯨に乗り出す民間企業はいなそう、なのである。
現実には、IWCでは、「感情的で非科学的な反捕鯨国のせいで」、商業捕鯨
モラトリアムが解除される見通しはない。反捕鯨国もまた、日本の調査捕鯨を
一方的な行動として強く批判することで、鯨類保全の姿勢を自らの支持者たちに
アピールしながらも、調査捕鯨を国際規制のもとに置くための妥協はしていない。
こうしてみると、反捕鯨国の強硬な態度が、実は日本の調査捕鯨を支えている。
このように、日本と反捕鯨国の間には、お互いに不機嫌な顔をしつつも現状に
安住する、ある種の共生関係があるといえる。
果たして捕鯨規制のあり方は、これで良いのだろうか。答えは否、である。
国際的には、関係国の合意に基づく捕鯨の管理は不在のままである。国内的
には、商業捕鯨の再開に役立てるはずが、いまや国際交渉において商業捕鯨
再開の阻害要因となっている調査捕鯨を、税金を投入しながら実施し続ける
現在の日本の捕鯨政策は、責任説明を著しく欠いた状態にある。
ところで、鯨を食べることは日本の食文化であり、外国にとやかく言われる
筋合いはない、という言い方をよくに耳にする。しかし、1970年以降の国会
議事録と、朝日新聞の記事において捕鯨に言及した個所をすべてチェックした
ところ、捕鯨の文脈で「文化」という言葉が使われたのは、1979年が
最初である。それ以前は、「鯨は重要なタンパク源」という言い方はあるが、
文化の問題として論じられることはなかった。当時、「国際PR」という
広告代理店が、日本捕鯨協会の委託を受けて、捕鯨に好意的な有識者
グループを組織して捕鯨と日本の食文化とを結びつけた国内キャンペーンを
展開しており、その有識者グループのアピール文を紹介したのが、朝日新聞に
おいて捕鯨の文脈で初めて「文化」という言葉が使われた記事である。鯨は
日本の食文化、という言説は、もともとあったわけではなく、上記のキャンペーン
などを通じて構築されてきたものであることに、留意すべきであろう。
★詳しくは、Atsushi Ishii & Ayako Okubo (2007) “An Alternative Explanation
of Japan's Whaling Diplomacy in the Post-Moratorium Era” Journal of
International Wildlife Law & Policy, Volume 10, Issue 1, pages 55 – 87.
10.1080/13880290701229911(日本語版はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~stars/pdf/Ishii_Okubo_JIWLP_J.pdf)
を、ぜひ読んでみてください。
大久保 彩子(おおくぼ あやこ):
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。
米本研究室所属。専門は環境政策論。商業捕鯨
モラトリアム以降の日本の捕鯨外交を新たな視点で
読み解く。
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